【エフェソ4:16】
キリストにより、体全体は、あらゆる節々が補い合うことによってしっかり組み合わされ、結び合わされて、おのおのの部分は分に応じて働いて体を成長させ、自ら愛によって造り上げられてゆくのです。
愛によって造り上げられてゆくって? 「キリストの満ちあふれる豊かさになるまで成長するのです。」(エフェソ4:13)ともあるので、すごいです。神さまは、このことを教会で実現してくださいます。
教会が体にたとえられています。一つの体のあらゆる節々は、教会の一人ひとりで、頭がキリストです。
教会はキリストを頭として、おのおのが補い合うわけです。すると互いにしっかりと組み合わされ、結び合わされて、自ら愛によって造り上げられてゆきます。
おのおのが補い合う...。どんなことが思い浮かぶでしょう。
エフェソの続きには、次のようにあります。
「それぞれ隣人に対して真実を語りなさい。わたしたちは、互いに体の一部なのです。・・・ただ、聞く人に恵みが与えられるように、その人を造り上げるのに役立つ言葉を、必要に応じて語りなさい。」(エフェソ4:25,29)
教会は「愛に根ざして」(同4:15)、おのおのが補い合います。キリストが頭ですから。教会って素敵ですね。
2013年9月10日火曜日
事実が現実になる
【ローマ6:6,8,11】
わたしたちの古い自分がキリストと共に十字架につけられたのは、罪に支配された体が滅ぼされ、もはや罪の奴隷にならないためであると知っています。・・・わたしたちは、キリストと共に死んだのなら、キリストと共に生きることにもなると信じます。・・・このように、あなたがたも自分は罪に対して死んでいるが、キリスト・イエスに結ばれて、神に対して生きているのだと考えなさい。
キリストを信じることの中身には、古い自分がキリストと共に死に、キリストと共に生きることが含まれます。
キリストと共に生きる!! 素敵な人生です。
そのために、古い自分が死のうと努力すればいい?
その努力をすればするほど、古い自分が生き返っていきます。キリストと共に生きるすばらしさに近づける気がしません。
「信じます。」 また「考えなさい。」と、あります。
自分はすでにキリストと共に死んだ、と信じて考えるわけです。
そう信じて考えるのは、キリストを信じる者は、キリストと共に十字架につけられ、キリストと共に生きることになるのが事実だからです。
主が成してくださる事実を、信じ、考えることによって、本当に信じる者の現実となります。
主に栄光!
わたしたちの古い自分がキリストと共に十字架につけられたのは、罪に支配された体が滅ぼされ、もはや罪の奴隷にならないためであると知っています。・・・わたしたちは、キリストと共に死んだのなら、キリストと共に生きることにもなると信じます。・・・このように、あなたがたも自分は罪に対して死んでいるが、キリスト・イエスに結ばれて、神に対して生きているのだと考えなさい。
キリストを信じることの中身には、古い自分がキリストと共に死に、キリストと共に生きることが含まれます。
キリストと共に生きる!! 素敵な人生です。
そのために、古い自分が死のうと努力すればいい?
その努力をすればするほど、古い自分が生き返っていきます。キリストと共に生きるすばらしさに近づける気がしません。
「信じます。」 また「考えなさい。」と、あります。
自分はすでにキリストと共に死んだ、と信じて考えるわけです。
そう信じて考えるのは、キリストを信じる者は、キリストと共に十字架につけられ、キリストと共に生きることになるのが事実だからです。
主が成してくださる事実を、信じ、考えることによって、本当に信じる者の現実となります。
主に栄光!
2013年9月5日木曜日
イエスさまの愛にとどまる
【ヨハネによる福音書 15:9~12】
父がわたしを愛されたように、わたしもあなたがたを愛してきた。わたしの愛にとどまりなさい。わたしが父の掟を守り、その愛にとどまっているように、あなたがたも、わたしの掟を守るなら、わたしの愛にとどまっていることになる。これらのことを話したのは、わたしの喜びがあなたがたの内にあり、あなたがたの喜びが満たされるためである。わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい。これがわたしの掟である。
わたしたちに喜びが満たされる方法を、イエスさまは教えてくださいました。
その方法とは、わたしたちがイエスさまの愛にとどまることです。
どうやって留まるのかというと、自分がイエスさまから愛されたように、互いに愛し合うことによってです。
つまり、イエスさまがわたしたちを愛して捕らえてくださったので、わたしたちもイエスさまの愛にとどまれば良いわけです。
イエスさまの愛にとどまろうとして、聖書を読んだり祈ったりすることも大切です。でも、そうしながら、もし心の奥で誰かを憎んでいたら...?
イエスさまから愛されているのに、人を愛そうとしないまま、イエスさまにつながっていようとするのには無理がありそうです。愛することって大切ですね。
イエスさまの愛にとどまりましょう。すでにイエスさまが愛してくださり、捕らえてくださいましたから。
2013年7月5日金曜日
主と共に生きる
【ローマ6:6,8,11】
わたしたちの古い自分がキリストと共に十字架につけられたのは、罪に支配された体が滅ぼされ、もはや罪の奴隷にならないためであると知っています。
わたしたちは、キリストと共に死んだのなら、キリストと共に生きることにもなると信じます。
このように、あなたがたも自分は罪に対して死んでいるが、キリスト・イエスに結ばれて、神に対して生きているのだと考えなさい。
キリストと共に生きる!
そうなりたいです。キリストと共に生きるのは、古い自分が死ぬからです。
どうしたら古い自分が死ぬでしょう?
古い自分が死のうと努力する?
その努力をすればするほど、生きている古い自分が見えてくるだけです。
なお罪の奴隷に留まってしまい、キリストと共に生きるすばらしさに近づけません。
じゃあ、どうすればいいの?
信じることと、考えることが勧められています。
自分はすでにキリストと共に死んだ、と信じて考えるわけです。
そのとき、主と共に生きることが、わたしたちの事実となります。
主に栄光!
わたしたちの古い自分がキリストと共に十字架につけられたのは、罪に支配された体が滅ぼされ、もはや罪の奴隷にならないためであると知っています。
わたしたちは、キリストと共に死んだのなら、キリストと共に生きることにもなると信じます。
このように、あなたがたも自分は罪に対して死んでいるが、キリスト・イエスに結ばれて、神に対して生きているのだと考えなさい。
キリストと共に生きる!
そうなりたいです。キリストと共に生きるのは、古い自分が死ぬからです。
どうしたら古い自分が死ぬでしょう?
古い自分が死のうと努力する?
その努力をすればするほど、生きている古い自分が見えてくるだけです。
なお罪の奴隷に留まってしまい、キリストと共に生きるすばらしさに近づけません。
じゃあ、どうすればいいの?
信じることと、考えることが勧められています。
自分はすでにキリストと共に死んだ、と信じて考えるわけです。
そのとき、主と共に生きることが、わたしたちの事実となります。
主に栄光!
2013年6月27日木曜日
事実は経験に
【エフェソ2:8】
事実、あなたがたは、恵みにより、信仰によって救われました。このことは、自らの力によるのではなく、神の賜物です。
「あなたは救われていますか?」と聞かれたら、どう答える?
キリストを信じているなら、「わたしは神さまの恵みにより救われています。」と答えられます。それが「事実」ですから!
ときどき、御言葉の事実と自分の経験にギャップがあることがあります。たとえば放蕩息子のお兄さんのように。
彼いとっての事実は、父親から愛されている子でした。でも彼の経験は「わたしは何年もお父さんに仕えています。言いつけに背いたことは一度もありません。」(ルカ15:29)と言っているように、愛されている子ではなく、奴隷のようでした。
事実と経験がピッタリ合っていれば平安ですが、合っていないと、その分、不満や不安が広がるでしょう。
「事実」は、「救われました。」です。神さまは、罪のために死んでいたわたしたちを、キリストと共に生かし、キリストによって共に復活させ、共に天の王座に着かせてくださいました。(エフェソ2:5,6)。
神さまからが成してくださった事実を受け取りましょう。キリストを信じる信仰によって。
事実は経験となり、主にある平安が満ち溢れますように。
事実、あなたがたは、恵みにより、信仰によって救われました。このことは、自らの力によるのではなく、神の賜物です。
「あなたは救われていますか?」と聞かれたら、どう答える?
キリストを信じているなら、「わたしは神さまの恵みにより救われています。」と答えられます。それが「事実」ですから!
ときどき、御言葉の事実と自分の経験にギャップがあることがあります。たとえば放蕩息子のお兄さんのように。
彼いとっての事実は、父親から愛されている子でした。でも彼の経験は「わたしは何年もお父さんに仕えています。言いつけに背いたことは一度もありません。」(ルカ15:29)と言っているように、愛されている子ではなく、奴隷のようでした。
事実と経験がピッタリ合っていれば平安ですが、合っていないと、その分、不満や不安が広がるでしょう。
「事実」は、「救われました。」です。神さまは、罪のために死んでいたわたしたちを、キリストと共に生かし、キリストによって共に復活させ、共に天の王座に着かせてくださいました。(エフェソ2:5,6)。
神さまからが成してくださった事実を受け取りましょう。キリストを信じる信仰によって。
事実は経験となり、主にある平安が満ち溢れますように。
2013年6月11日火曜日
キリストの愛にとどまる
【ヨハネによる福音書 15:9~12】
父がわたしを愛されたように、わたしもあなたがたを愛してきた。わたしの愛にとどまりなさい。わたしが父の掟を守り、その愛にとどまっているように、あなたがたも、わたしの掟を守るなら、わたしの愛にとどまっていることになる。これらのことを話したのは、わたしの喜びがあなたがたの内にあり、あなたがたの喜びが満たされるためである。わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい。これがわたしの掟である。
イエスさまは、「わたしはまことのぶどうの木、・・・。わたしにつながっていなさい。」と話し出して、上の言葉を語られました。
コンビニだって7時~11時より、24時間開いている方が便利です。イエスさまにつながっているのも、年中無休の方が喜びが満ちます。
どうすれば、いつでも、どんなときでも、イエスさまにつながっていられるのでしょう?
「わたしの愛にとどまりなさい。」とも、イエスさまはおっしゃっています。
すでにイエスさまが、とらえてくださいました! だからその愛にとどまりなさい、というわけです。
イエスさまの掟を守るなら、イエスさまの愛にとどまることになります。イエスさまの掟は、「わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい。」です。
イエスさまにつながろうとして、聖書を読んだり祈ったりしたとしても、もし誰かを憎んでいたら...? 人を愛そうとはしないで、イエスさまにつながっている、というのには無理がありそうです。
掟を守るのは、最初は苦労するものです。慣れていないですから。焦らず、少しずつですね。
少しずつ、でも確かに、イエスさまの喜びがわたしたちの内にあり、わたしたちの喜びが満ちてきます。
イエスさまの愛にとどまりましょう。すでにイエスさまがとらえてくださいましたから。
父がわたしを愛されたように、わたしもあなたがたを愛してきた。わたしの愛にとどまりなさい。わたしが父の掟を守り、その愛にとどまっているように、あなたがたも、わたしの掟を守るなら、わたしの愛にとどまっていることになる。これらのことを話したのは、わたしの喜びがあなたがたの内にあり、あなたがたの喜びが満たされるためである。わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい。これがわたしの掟である。
イエスさまは、「わたしはまことのぶどうの木、・・・。わたしにつながっていなさい。」と話し出して、上の言葉を語られました。
コンビニだって7時~11時より、24時間開いている方が便利です。イエスさまにつながっているのも、年中無休の方が喜びが満ちます。
どうすれば、いつでも、どんなときでも、イエスさまにつながっていられるのでしょう?
「わたしの愛にとどまりなさい。」とも、イエスさまはおっしゃっています。
すでにイエスさまが、とらえてくださいました! だからその愛にとどまりなさい、というわけです。
イエスさまの掟を守るなら、イエスさまの愛にとどまることになります。イエスさまの掟は、「わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい。」です。
イエスさまにつながろうとして、聖書を読んだり祈ったりしたとしても、もし誰かを憎んでいたら...? 人を愛そうとはしないで、イエスさまにつながっている、というのには無理がありそうです。
掟を守るのは、最初は苦労するものです。慣れていないですから。焦らず、少しずつですね。
少しずつ、でも確かに、イエスさまの喜びがわたしたちの内にあり、わたしたちの喜びが満ちてきます。
イエスさまの愛にとどまりましょう。すでにイエスさまがとらえてくださいましたから。
2013年6月5日水曜日
神さまに近づく
【エフェソ2:16-18 3:11,12】
十字架を通して、両者を一つの体として神と和解させ、十字架によって敵意を滅ぼされました。キリストはおいでになり、遠く離れているあなたがたにも、また、近くにいる人々にも、平和の福音を告げ知らせられました。それで、このキリストによってわたしたち両方の者が一つの霊に結ばれて、御父に近づくことができるのです。
・・・
これは、神がわたしたちの主キリスト・イエスによって実現された永遠の計画に沿うものです。わたしたちは主キリストに結ばれており、キリストに対する信仰により、確信をもって、大胆に神に近づくことができます。
神さまに近づけられると、どんな気持ちになる?
神さまは憐れみ深く、この上なく愛して下さる方ですから(エフェソ2:4)、うれしくなります。うれしくて、もっと近づきたくなります。
神さまにもっと近づくには?
神さまは、わたしたち一人ひとりを、キリストの血によって近づけ、「一つの体」とし、「一つの霊に結」んでくださいました。これが教会ですね。神さまは教会を御自身に近づけられます。
神さまが近づけてくださるので、わたしたちはキリストに対する信仰により、確信を持って、大胆に神さまに近づくことができます。
教会って、とてもすごいです。一つの体とされ、一つの霊に結ばれて、神さまに近づき、神さまとの豊かな交わりに入れていただけます。
教会は、神さまがキリストによって実現された永遠の計画に沿うものです。
ハレルヤ!
2013年5月28日火曜日
主の鍛錬
【ヘブライ人への手紙12:5,6】
また、子供たちに対するようにあなたがたに話されている次の勧告を忘れています。「わが子よ、主の鍛錬を軽んじてはいけない。主から懲らしめられても、力を落としてはいけない。なぜなら、主は愛する者を鍛え、子として受け入れる者を皆、鞭打たれるからである。」
「可愛い子には旅をさせろ」というのは、子どもへの親の愛ですが、主も愛する者を鍛えられるのですね。
どのように、わたしたちを鍛えてくださるでしょうか?
上記聖句の1章前。11章には、大勢の信仰者が出てきます。この人たちは、主に鍛えられた人たちでもあります。
その中の一人にサラがいます。サラは「不妊の女」であり、さらに「年齢が盛りを過ぎ」たとき、その内には「子をもうける力」が宿り、「多くの子孫が生まれ」ました。
主に鍛えられた人たちは、弱くされました。体や気持ちが弱くされたとき、内側には主の命があふれました。同じ様子が、他の人たちからも読み取れます。
人間の親は、可愛い子に旅をさせて、たくましく育てようとします。主は愛する者を鍛えて、弱くしようとなさっています。
聖書の他のところには、次のようにもあります。「たとえわたしたちの『外なる人』は衰えていくとしても、わたしたちの『内なる人』は日々新たにされていきます。」(2コリント4:16)
主はわたしたちを鍛えて、わたしたちの「外なる人」を弱くしてくださいます。すると「内なる人」(イエスさまの命に生きる人)は新たにされます。
主は愛してくださいます。喜んで弱くされましょう。わたしたちの「内なる人」は日々新たにされ、主は「御自分の神聖にあずからせ」てくださり、「義という平和な実を結ばせ」てくださいます。(ヘブライ12:10,11)
また、子供たちに対するようにあなたがたに話されている次の勧告を忘れています。「わが子よ、主の鍛錬を軽んじてはいけない。主から懲らしめられても、力を落としてはいけない。なぜなら、主は愛する者を鍛え、子として受け入れる者を皆、鞭打たれるからである。」
「可愛い子には旅をさせろ」というのは、子どもへの親の愛ですが、主も愛する者を鍛えられるのですね。
どのように、わたしたちを鍛えてくださるでしょうか?
上記聖句の1章前。11章には、大勢の信仰者が出てきます。この人たちは、主に鍛えられた人たちでもあります。
その中の一人にサラがいます。サラは「不妊の女」であり、さらに「年齢が盛りを過ぎ」たとき、その内には「子をもうける力」が宿り、「多くの子孫が生まれ」ました。
主に鍛えられた人たちは、弱くされました。体や気持ちが弱くされたとき、内側には主の命があふれました。同じ様子が、他の人たちからも読み取れます。
人間の親は、可愛い子に旅をさせて、たくましく育てようとします。主は愛する者を鍛えて、弱くしようとなさっています。
聖書の他のところには、次のようにもあります。「たとえわたしたちの『外なる人』は衰えていくとしても、わたしたちの『内なる人』は日々新たにされていきます。」(2コリント4:16)
主はわたしたちを鍛えて、わたしたちの「外なる人」を弱くしてくださいます。すると「内なる人」(イエスさまの命に生きる人)は新たにされます。
主は愛してくださいます。喜んで弱くされましょう。わたしたちの「内なる人」は日々新たにされ、主は「御自分の神聖にあずからせ」てくださり、「義という平和な実を結ばせ」てくださいます。(ヘブライ12:10,11)
2013年5月26日日曜日
成長させてくださる神さま
【コリントの信徒への手紙 一 3:6,7】
わたしは植え、アポロは水を注いだ。しかし、成長させてくださったのは神です。ですから、大切なのは、植える者でも水を注ぐ者でもなく、成長させてくださる神です。
自分を変えたい!と思ったことはありませんか。性格や習慣、癖、思考パターンなど...。あの人を変えたい!と、思うこともあるかもしれません。
現実は、自分を変えようとして疲れたり、変わらない自分に失望したりします。誰かを変えようとすると、その人もこちらを変えようとしてきて、穏やかではなくなります。
自分も他の人も、成長させてくださるのは神さまです。成長というのは、キリストに似ていく変化です。最高の成長です。
神さまは、どのようにして成長させてくださるのでしょう。
誰かから「植え」てもらったり、「水を注い」でもらうことを通してです。また、自分が他の人に「植え」たり、「水を注」ぐことを通してです。
誰かから大切にされ、自分も誰かを大切にすることを通して、神さまが成長させてくださいます。
自分は誰からも大切にされていない・・・と、もし感じていても大丈夫です。人となられたキリストが、「植え」てくださり「水を注い」でくださっています。大切にしてくださり、愛してくださっています。
キリストは、「わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。」(ヨハネ13:34)と、おっしゃっています。
成長させてくださる神さまに、感謝します!
わたしは植え、アポロは水を注いだ。しかし、成長させてくださったのは神です。ですから、大切なのは、植える者でも水を注ぐ者でもなく、成長させてくださる神です。
自分を変えたい!と思ったことはありませんか。性格や習慣、癖、思考パターンなど...。あの人を変えたい!と、思うこともあるかもしれません。
現実は、自分を変えようとして疲れたり、変わらない自分に失望したりします。誰かを変えようとすると、その人もこちらを変えようとしてきて、穏やかではなくなります。
自分も他の人も、成長させてくださるのは神さまです。成長というのは、キリストに似ていく変化です。最高の成長です。
神さまは、どのようにして成長させてくださるのでしょう。
誰かから「植え」てもらったり、「水を注い」でもらうことを通してです。また、自分が他の人に「植え」たり、「水を注」ぐことを通してです。
誰かから大切にされ、自分も誰かを大切にすることを通して、神さまが成長させてくださいます。
自分は誰からも大切にされていない・・・と、もし感じていても大丈夫です。人となられたキリストが、「植え」てくださり「水を注い」でくださっています。大切にしてくださり、愛してくださっています。
キリストは、「わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。」(ヨハネ13:34)と、おっしゃっています。
成長させてくださる神さまに、感謝します!
2013年5月19日日曜日
聞く耳で聞く
【ローマ10:17、18】
実に、信仰は聞くことにより、しかも、キリストの言葉を聞くことによって始まるのです。それでは、尋ねよう。彼らは聞いたことがなかったのだろうか。もちろん聞いたのです。「その声は全地に響き渡り、その言葉は世界の果てにまで及ぶ」のです。
イエスさまは時々、「聞く耳のある者は聞きなさい」とおっしゃっていました。聞く耳があれば、聞かない耳もあるのですね。
反対するつもりで聞く耳、都合の良いことだけ聞く耳、人事として聞く耳...は、聞かない耳?
キリストの言葉を、聞く耳で聞きたいですね。神さまが、たくさんの祝福を注いでくださいます。
キリストの言葉を聞く耳というのは、どういう耳でしょうか。
キリストに感謝しながら聞く耳、というのはどうでしょう。感謝しながらキリストに心を開くと、キリストの言葉が良く聞こえてきそうです。
あなたには、感謝できるどんな恵みが与えられていますか。新緑の木々など自然に溢れている恵み。希望、喜び、忍耐など、自分の内側にもキリストの恵みが与えられています。
キリストを思いながら聞くのも、聞く耳でしょう。キリストは、私たちがまだ罪人であったとき、死んでくださいました。キリストは今も、十字架で刺し貫かれた手を差し伸べてくださっています。
一緒にこのキリストを思い、キリストに感謝しつつ心を開いて、キリストが語ってくださる言葉に耳を傾けましょう。
2013年5月17日金曜日
愛を注がれて持っている
【ローマ5:5】わたしたちに与えられた聖霊によって、神の愛がわたしたちの心に注がれているからです。
私は誰からも「愛の人」と、言われたことがありません。「愛の人」、と聞いて思い浮かぶのは、マザー・テレサ?
すごい人だと感心するだけで、自分には真似できない、と思ってしまいます。
人は愛ではなく、愛することもできないのでしょうか。
人は愛ではありません。でも、聖霊を受けて、愛することはできます。聖霊によって、神さまの愛が心に注がれるからです。
聖霊を受けるとき、自分が他の人を愛するのに充分な愛を注がれて持っている、と知ることは大切です。
他の人を愛するときに、何をしていいのかわからないことがあります。そのときは、その人をだた愛しましょう。心に注がれる神さまの愛を、その人に注ぎましょう。
2013年5月15日水曜日
試練から逃れる道
【コリントの信徒への手紙一 10:13,14】あなたがたを襲った試練で、人間として耐えられないようなもの はなかったはずです。神は真実な方です。あなたがたを耐えられないような試練に遭わせることはなさらず、試練と共に、それに耐えられるよう、逃れる道をも備えていてくださいます。わたしの愛する人たち、こういうわけですから、偶像礼拝を避けなさい。
大きな試練にあったとき、どんな気持ちになる? 「神も仏もない!」と言いたくなるのは、自然な気持ちなんだろうと思います。
神さまはおられます。人生を振り返るとわかります。自分を襲った試練で、人間として耐えられないようなものはなかったはずだからです。
神さまは、逃れる道も備えていてくださいます。神さまはわたしたちに、真実を尽くしてくださる方ですから。
ところで、逃れる道というのは、どんな道でどこへ逃れる道?
イエス・キリストという道で、神さまへと逃れる道です。試練に襲われたとき、イエスさまを通って神さまに抱かれ、安らぎ、神さまを礼拝できます。
これからも試練はやってきます。そのときに「神も仏もない」という気持ちから抜けだして、イエスさまに心を向けたいものです。
2013年5月14日火曜日
人事を尽くして天命を待つ?
【ヤコブ4:13~15】
よく聞きなさい。「きょうか、あす、これこれの町へ行き、そこ に一か年滞在し、商売をして一もうけしよう」と言う者たちよ。 あなたがたは、あすのこともわからぬ身なのだ。あなたがたのい のちは、どんなものであるか。あなたがたは、しばしの間あらわ れて、たちまち消え行く霧にすぎない。むしろ、あなたがたは「 主のみこころであれば、わたしは生きながらえもし、あの事この 事もしよう」と言うべきである。
あなたは出来る限りのことをして、あとは天に任せなさい!というのが、人事を尽くして天命を待つですね。
あるクリスチャンが、「実は逆なのよ」と言っていました。天(神さま)に任せて(委ねて)から、出来る限りのことをする、というわけです。
聖書には、まず神さまのみこころを受け入れるように、とあります。天命を待つわけです。
あなたは、主のみこころに従って、あの町へ行ったり、商売をしたり、あの事この事をしなさい、というわけです。
わたしたちは、たちまち消え行く霧のように、はかない者です。
だからこそ、良い人生を歩みたいですね。神さまは、わたしたちが良く生きていけるように考えてくださっています。この神さまのみこころに耳を傾けましょう。神さまは語ってくださっています。
登録:
投稿 (Atom)