【ヘブライ人への手紙12:5,6】
また、子供たちに対するようにあなたがたに話されている次の勧告を忘れています。「わが子よ、主の鍛錬を軽んじてはいけない。主から懲らしめられても、力を落としてはいけない。なぜなら、主は愛する者を鍛え、子として受け入れる者を皆、鞭打たれるからである。」
「可愛い子には旅をさせろ」というのは、子どもへの親の愛ですが、主も愛する者を鍛えられるのですね。
どのように、わたしたちを鍛えてくださるでしょうか?
上記聖句の1章前。11章には、大勢の信仰者が出てきます。この人たちは、主に鍛えられた人たちでもあります。
その中の一人にサラがいます。サラは「不妊の女」であり、さらに「年齢が盛りを過ぎ」たとき、その内には「子をもうける力」が宿り、「多くの子孫が生まれ」ました。
主に鍛えられた人たちは、弱くされました。体や気持ちが弱くされたとき、内側には主の命があふれました。同じ様子が、他の人たちからも読み取れます。
人間の親は、可愛い子に旅をさせて、たくましく育てようとします。主は愛する者を鍛えて、弱くしようとなさっています。
聖書の他のところには、次のようにもあります。「たとえわたしたちの『外なる人』は衰えていくとしても、わたしたちの『内なる人』は日々新たにされていきます。」(2コリント4:16)
主はわたしたちを鍛えて、わたしたちの「外なる人」を弱くしてくださいます。すると「内なる人」(イエスさまの命に生きる人)は新たにされます。
主は愛してくださいます。喜んで弱くされましょう。わたしたちの「内なる人」は日々新たにされ、主は「御自分の神聖にあずからせ」てくださり、「義という平和な実を結ばせ」てくださいます。(ヘブライ12:10,11)
2013年5月26日日曜日
成長させてくださる神さま
【コリントの信徒への手紙 一 3:6,7】
わたしは植え、アポロは水を注いだ。しかし、成長させてくださったのは神です。ですから、大切なのは、植える者でも水を注ぐ者でもなく、成長させてくださる神です。
自分を変えたい!と思ったことはありませんか。性格や習慣、癖、思考パターンなど...。あの人を変えたい!と、思うこともあるかもしれません。
現実は、自分を変えようとして疲れたり、変わらない自分に失望したりします。誰かを変えようとすると、その人もこちらを変えようとしてきて、穏やかではなくなります。
自分も他の人も、成長させてくださるのは神さまです。成長というのは、キリストに似ていく変化です。最高の成長です。
神さまは、どのようにして成長させてくださるのでしょう。
誰かから「植え」てもらったり、「水を注い」でもらうことを通してです。また、自分が他の人に「植え」たり、「水を注」ぐことを通してです。
誰かから大切にされ、自分も誰かを大切にすることを通して、神さまが成長させてくださいます。
自分は誰からも大切にされていない・・・と、もし感じていても大丈夫です。人となられたキリストが、「植え」てくださり「水を注い」でくださっています。大切にしてくださり、愛してくださっています。
キリストは、「わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。」(ヨハネ13:34)と、おっしゃっています。
成長させてくださる神さまに、感謝します!
わたしは植え、アポロは水を注いだ。しかし、成長させてくださったのは神です。ですから、大切なのは、植える者でも水を注ぐ者でもなく、成長させてくださる神です。
自分を変えたい!と思ったことはありませんか。性格や習慣、癖、思考パターンなど...。あの人を変えたい!と、思うこともあるかもしれません。
現実は、自分を変えようとして疲れたり、変わらない自分に失望したりします。誰かを変えようとすると、その人もこちらを変えようとしてきて、穏やかではなくなります。
自分も他の人も、成長させてくださるのは神さまです。成長というのは、キリストに似ていく変化です。最高の成長です。
神さまは、どのようにして成長させてくださるのでしょう。
誰かから「植え」てもらったり、「水を注い」でもらうことを通してです。また、自分が他の人に「植え」たり、「水を注」ぐことを通してです。
誰かから大切にされ、自分も誰かを大切にすることを通して、神さまが成長させてくださいます。
自分は誰からも大切にされていない・・・と、もし感じていても大丈夫です。人となられたキリストが、「植え」てくださり「水を注い」でくださっています。大切にしてくださり、愛してくださっています。
キリストは、「わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。」(ヨハネ13:34)と、おっしゃっています。
成長させてくださる神さまに、感謝します!
2013年5月19日日曜日
聞く耳で聞く
【ローマ10:17、18】
実に、信仰は聞くことにより、しかも、キリストの言葉を聞くことによって始まるのです。それでは、尋ねよう。彼らは聞いたことがなかったのだろうか。もちろん聞いたのです。「その声は全地に響き渡り、その言葉は世界の果てにまで及ぶ」のです。
イエスさまは時々、「聞く耳のある者は聞きなさい」とおっしゃっていました。聞く耳があれば、聞かない耳もあるのですね。
反対するつもりで聞く耳、都合の良いことだけ聞く耳、人事として聞く耳...は、聞かない耳?
キリストの言葉を、聞く耳で聞きたいですね。神さまが、たくさんの祝福を注いでくださいます。
キリストの言葉を聞く耳というのは、どういう耳でしょうか。
キリストに感謝しながら聞く耳、というのはどうでしょう。感謝しながらキリストに心を開くと、キリストの言葉が良く聞こえてきそうです。
あなたには、感謝できるどんな恵みが与えられていますか。新緑の木々など自然に溢れている恵み。希望、喜び、忍耐など、自分の内側にもキリストの恵みが与えられています。
キリストを思いながら聞くのも、聞く耳でしょう。キリストは、私たちがまだ罪人であったとき、死んでくださいました。キリストは今も、十字架で刺し貫かれた手を差し伸べてくださっています。
一緒にこのキリストを思い、キリストに感謝しつつ心を開いて、キリストが語ってくださる言葉に耳を傾けましょう。
2013年5月17日金曜日
愛を注がれて持っている
【ローマ5:5】わたしたちに与えられた聖霊によって、神の愛がわたしたちの心に注がれているからです。
私は誰からも「愛の人」と、言われたことがありません。「愛の人」、と聞いて思い浮かぶのは、マザー・テレサ?
すごい人だと感心するだけで、自分には真似できない、と思ってしまいます。
人は愛ではなく、愛することもできないのでしょうか。
人は愛ではありません。でも、聖霊を受けて、愛することはできます。聖霊によって、神さまの愛が心に注がれるからです。
聖霊を受けるとき、自分が他の人を愛するのに充分な愛を注がれて持っている、と知ることは大切です。
他の人を愛するときに、何をしていいのかわからないことがあります。そのときは、その人をだた愛しましょう。心に注がれる神さまの愛を、その人に注ぎましょう。
2013年5月15日水曜日
試練から逃れる道
【コリントの信徒への手紙一 10:13,14】あなたがたを襲った試練で、人間として耐えられないようなもの はなかったはずです。神は真実な方です。あなたがたを耐えられないような試練に遭わせることはなさらず、試練と共に、それに耐えられるよう、逃れる道をも備えていてくださいます。わたしの愛する人たち、こういうわけですから、偶像礼拝を避けなさい。
大きな試練にあったとき、どんな気持ちになる? 「神も仏もない!」と言いたくなるのは、自然な気持ちなんだろうと思います。
神さまはおられます。人生を振り返るとわかります。自分を襲った試練で、人間として耐えられないようなものはなかったはずだからです。
神さまは、逃れる道も備えていてくださいます。神さまはわたしたちに、真実を尽くしてくださる方ですから。
ところで、逃れる道というのは、どんな道でどこへ逃れる道?
イエス・キリストという道で、神さまへと逃れる道です。試練に襲われたとき、イエスさまを通って神さまに抱かれ、安らぎ、神さまを礼拝できます。
これからも試練はやってきます。そのときに「神も仏もない」という気持ちから抜けだして、イエスさまに心を向けたいものです。
2013年5月14日火曜日
人事を尽くして天命を待つ?
【ヤコブ4:13~15】
よく聞きなさい。「きょうか、あす、これこれの町へ行き、そこ に一か年滞在し、商売をして一もうけしよう」と言う者たちよ。 あなたがたは、あすのこともわからぬ身なのだ。あなたがたのい のちは、どんなものであるか。あなたがたは、しばしの間あらわ れて、たちまち消え行く霧にすぎない。むしろ、あなたがたは「 主のみこころであれば、わたしは生きながらえもし、あの事この 事もしよう」と言うべきである。
あなたは出来る限りのことをして、あとは天に任せなさい!というのが、人事を尽くして天命を待つですね。
あるクリスチャンが、「実は逆なのよ」と言っていました。天(神さま)に任せて(委ねて)から、出来る限りのことをする、というわけです。
聖書には、まず神さまのみこころを受け入れるように、とあります。天命を待つわけです。
あなたは、主のみこころに従って、あの町へ行ったり、商売をしたり、あの事この事をしなさい、というわけです。
わたしたちは、たちまち消え行く霧のように、はかない者です。
だからこそ、良い人生を歩みたいですね。神さまは、わたしたちが良く生きていけるように考えてくださっています。この神さまのみこころに耳を傾けましょう。神さまは語ってくださっています。
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